1.ヨガのはじまりとリグヴェーダ

ヨガとインド思想の歴史  このページでは日本農業経営大学の講義内容の一部を公開しています。 ____________

【インダス文明とアーリア人】

BC2300ー1800年 インダス文明が栄える。 インダス文明はドラヴィダ民族による文明という説が濃厚であるが確実な事は何もわかっていないのが現状である。しかし出土品の中に当時の宗教や慣習を示すものがあり、母神崇拝・樹神崇拝・動物崇拝・性器崇拝・ヨーガ修行・沐浴を実践していた可能性がある。ヨガのはじまりはこのドラヴィダ民族によるインダス文明であると推測する事が出来る。

BC1500年頃インダス文明の滅亡と共にヒンドゥークシュ山脈を越えてアーリア人がやってくる。 アーリア人はもともと南ロシア、カスピ海、コーカサス山脈あたりにいた遊牧民であるが、一部が西へ行きヨーロッパの諸民族となる。一部は東へ、インド人/イラン人になる。 イランに行ったアーリア人はゾロアスター教の聖典アヴェスターを産み、インドに行ったアーリア人はインド思想のはじまりとなる『リグ・ヴェーダ』を産んだ。 ゾロアスター教の聖典アヴェスターとリグ・ヴェーダは、言語、神の名前には共通するものが多い。また、リグ・ヴェーダはアーリア人がインドに侵入する前にすでに相当の部分が成立していたと推測されている。

【リグ・ヴェーダ】

BC1200年を中心に編纂されたインド最古の文献であり、哲学的な思惟の芽生えはこのリグ・ヴェーダに見られる。 リグ・ヴェーダでは、サンスクリット語にて様々な神話が描かれている。これは言語の発生そのものとも深く関わっていると考えられ、またこのサンスクリット語自体神聖な神の言葉として現在でもインドで伝えられている。(*言語の発生)   内容としては宇宙創造を説明しようとする宇宙開闢論や、私たちはなぜ存在し、世界がどこからきたかを示そうと、様々なアプローチでこれを説明している。 人間が自分たちの存在意義や世界がどこから来たかに興味を持ち始めた事に深い意味がある。 「人間の肉体は死とともに滅びるが、魂は不滅である」と信じられていた。これはバラモン教、のちに出現する仏教、ヒンズー教、インドの様々な哲学すべてに共通して今日まで信じられている事である。

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(*)言語の発生 「人間は、像をつくり出し、そこに価値を見いだす」(カシーラ)
「実際現実にある環境から得た感覚以上のものを人間が追い求めている、それが人間が人間たるゆえんである」言語の発生においても、神話という現実で起きている事ではないものを説明しようとする時「言語」が発生したと、カシーラは言っている。
宇宙開闢の歌(一〇•一二九)「リグ•ヴェーダ讃歌」辻直四郎 訳
冒頭の一句「無もなかりき」(nasad asit)にちなんで、ナーサッド•アーシーティア讃歌と呼ばれる。リグ•ヴェーダの哲学思想の最高峰を示すもので、神話の要素を除外し、人格化された創造神の臭味を脱し、宇宙の本源を絶対的唯一物に帰している。ただし展開の順序は正確に述べられていず、厳格な論理で律することができないため、見解の相違の起こるのはやむを得ない。しかし後の文献にみられる開闢説話と比較して考えれば、おそらく次のような順序が推定される。唯一物(水)―--意(思考力)―-―意欲(展開への欲求)――-熱力―――現象界。
一 そのとき(太初において)無もなかりき、有もなかりき。空海もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護のもとに。深くして測るべからざる水は存在せりや。
二 そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。夜と昼との標識(日月•星辰)もなかりき。かの唯一物(中性の根本原理)は、自力により風なく呼吸せり(生存の徴候)。これよりほかに何ものも存在せざりき。
三 太初において、暗黒は暗黒におおわれたりき。この一切は標識なき水波なりき。空虚におおわれ発現しつつあるもの、かの唯一物は、熱の力により出生せり(生命の開始)。
四 最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意(思考力)の第一の種子なりき。詩人ら(霊感ある聖仙たち)は熟慮して心に求め、有の親縁(起原)を無に発見せり。
五 彼ら(詩人たち)の縄尺は横に張られたり。下方はありしや、上方はありしや。射精者(能動的男性力)ありき、能力(受動的女性力)ありき。自存力(本能、女性力)は下に、許容力(男性力)は上に。
六 誰か正しく知る者ぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。この創造(現象界の出現)はいずこより生じ、いずこより(来たれる)。神々はこの(世界の)創造より後なり。しからば誰か(創造の)いずこより起こりしかを知る者ぞ。
七 この創造はいずこより起こりしや。そは(誰によりて)実行させられたりや、あるいはまたしからざりしや、――-最高天にありてこの(世界を)監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。

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